「彼らに泣き顔を、見せてはいけない」
50年ほど前、アメリカのアーカンソー州の州都リトルロック市で、白人の高校に黒人の生徒10人が転入することになりました。しかし、まだまだ黒人への差別が厳しかった南部の一都市であるリトルロックでは、地元の白人住民が学校に押し寄せ、生徒達を学校に行こうとさせませんでした。州から派遣された兵士達を、最初、「自分達を守る人たち」と思っていた黒人新入生の一人Elizabeth Eckfordは、彼らが自分を守ろうとしているのではないことを知ると、へなへなと力が抜け、やっとの思いで近くにあったバス停の椅子に座り込みます。周りの白人の群衆が彼女に向かって叫んでいる中、彼女の隣に座った白人の男性が現れました。このニューヨークタイムスの教育部門編集者Dr. Benjamin Fineが言ったのが、今日の一言です。彼は、後に「リトルロック、セントラル高校の危機」として、アメリカの市民権運動に拍車をかけていったこの事件を、取材しに来ていたのでした。最近、私はこのリトルロックについて本を読むようになり、いつか自分で本を書きたいなあと思っています。
「自分のためだけではなく、他の黒人のために、自分は頑張らなくてはならない。」
この中には、こういったとても感動する勇気の行動がいっぱいなのです。
最初10人いた黒人生徒は、翌日一人脱落し、途中でもう一人「トラブルを起こした」と学校側から言われ、退学になりました。しかし、一年後には、3年生で転入したErnest Greenが卒業し、キング牧師も卒業式に駆けつけたと言います。毎日、毎日、精神的にも肉体的にも嫌がらせや、暴力を受けながらも、最後まで学校に通い続けた勇気は、すごいものだと、目をウルウルさせながら、本を読んだのでした。他の7人の生徒は、その時の州の知事が、公立高校を閉鎖するという、突拍子もない策に走ったため、卒業することはできませんでしたが、現在では、彼らの勇気を称え、「リトルロックナイン」として、セントラル高校の前にブロンズ像が立てられています。この黒人生徒達の他にも、彼らを助けるために勇気の行動をした人たちは、白人にも黒人にもいるのです。メンフィスから来た黒人新聞記者Alex Wilsonは、白人の群衆が黒人をめがけて殴りに来た時、"I deceided not to run"と、逃げることを拒否しました。それは、彼にとって、人種差別に対する最大の抵抗だったのでしょう。彼の決意は、とても崇高なものだと思います。
私がこのリトルロックナインについて本を書くとしたら、これを「過去のどこか遠くで起こったこと」にはしたくないと思います。事の大小の違いはあれ、こういった偏見による差別は、どこにでも存在するのです。それを見たときに、どういう行動を取るのか、それによって、人間の真価が問われると思うのです。現在、黒人に対するこのような人種差別は間違っていると、誰もが知っています。しかし、その当時の南部の白人にとって、それは常識ではなかったのです。黒人生徒たちが白人の学校に行くのを阻止した人たちは、自分達を、「黒人よりも上」と思っていたでしょう。しかし、写真に残る彼らは、「人種差別の象徴」として刻印を押され、醜い歴史の一部に名を残しています。未来の人たちにどのように評価されるか、それは、今の自分の人生を生きる上で、重要な羅針盤になると思います。
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